第48(新生173)回訪問活動 (2015/01/18) レポート〈阪神淡路大震災20年を「希望の灯り」とともに,仮設・復興住宅訪問通算615回〉

神戸市営住宅・ベルデ名谷 最後の追悼行事が行われた翌日の集会所毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア新生では,「1.17」を忘れない!「希望の灯り」とともに 2015の2回目として,前の週,1月11日に続いて,同じく垂水区の山中にある復興住宅・ベルデ名谷に伺いました。
 
2015.1.11&18予告ビラこの日伺ったのは,本来前週に訪問を予定していながら,廻りきれなかったところがほとんどでした。前回の訪問の後,伺えなかったことをお詫びし,この日の再訪を予告するビラを入れ直しての訪問でした。

今2015年の1月17日は,土曜日に当たるものの,他の行事との兼ね合いで,当ボランティアとしての訪問活動は行いませんでしたが,結果として,阪神淡路大震災20年の「1.17」をはさんでの「お話し伺い」を実現することになりました。

神戸新聞2015/01/09 神戸・週末ボランティア新生 復興住宅訪問 「1.17」を忘れない!「希望の灯り」とともに 2015震災20年の節目とあって多々行事がある中,前週分とあわせて地元紙「神戸新聞」で案内していただきました。

今年の「1.17」には,昨夏亡くなった黒田裕子さんの尽力もあって,市営地下鉄などの公共交通機関が,始発を繰り上げての臨時ダイヤでの運行を実現したこともあって,三宮・東遊園地には,例年の3倍近い人が訪れ,主宰者も参列しましたが,震災発生時刻である5時46分の黙祷のころには,園内に入るのがやっとという状況でした。

恒例となっている他にも,これが最後,或いは,震災20年を機に復活,大規模に,というような,追悼行事が,かつての被災地各所で行われていました。

いかなごのモニュメント@垂水東口×「希望の灯り」神戸新聞 2015/01/18 ベルデ名谷 最後の追悼行事この復興住宅・ベルデ名谷では,それでも早朝,東遊園地での集いに参列・参加するには困難であることに違いなかったのですが,1月17日早朝に,住宅内の集会所で追悼行事が行われました。高齢化と後継難のため,今回で最後にしたとのことで,ベルデ名谷連絡協議会の総力を挙げて,最後の力を振り絞るように開催され,それにこたえて例年より多い120名ほどの住民が参列していたと,地元紙が伝えていました。

今回も,垂水東口のいかなごのモニュメント前で,「希望の灯り」の分灯を灯して,ボランティアが待ち合わせ,予定時刻近くに開始できるよう,現地に向かいました。

2回続けて,繰り越しは出来ないことと,「1.17」を挟んでいることとに鑑み,今回訪問予定にしたお宅には,17時の終了予定時刻を過ぎても訪問を続行し,19時を過ぎての終了となりました。遅くなってからの訪問となりましたことに,重ねてお詫びいたします。

神戸市営住宅・ベルデ名谷1000戸近い大規模で,「最後の復興住宅」として建設され,現在も多くの被災経験者がいる中では,これへの参列者が多いとは言えません。それは,この復興住宅がある地やその近辺で被害に遭った人はほとんどおらず,距離的にも離れ,環境的にも異なった地で,各々,様々な状況のもとで,被災したもので,一括りに被災者といても,その内実や事情は,それぞれ異なるものなのです。

被災時まで長く住み慣れた地,長きにわたって,親しく,苦楽をともにした人々に,各々心を寄せ,しのび,それにあわせた行動をそれぞれが取ったり,或いは一人で静かに…,という方々が,もともと多数であったことを,改めて想起させられるものでした。

神戸市営住宅・ベルデ名谷 夜もともと,当ボランティア,神戸・週末ボランティア 新生が,1月に,「希望の灯り」とともに復興住宅訪問活動をするようにしたのは,高齢化が進む中で,行事への参加が困難になっているとの現状認識からでしたが,実際には,単なる追悼行事の「出前」にとどまらず,各々の状況に踏まえて,一人一人に寄り添うことの大切さと意義を,改めて強く認識させていただく機会となりました。

初心忘るべからずと,阪神淡路大震災20年の今年は,年間テーマ「震災ボランティア、二十歳の原点。」を掲げることにしました。

ご参加,ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴きました皆様に改めて感謝いたします。


この日伺ったところの概要です。

・80代男性。兵庫区で半壊。水屋が倒れてきて,すき間が出来たので,上の方から外へ出た。近くでは,新しい家が真っ先につぶれていたが,自分が住んでいたアパートは,古かったものの,コンクリートの瓦で,屋根が軽かったので,全壊せずにすんで,助かった。土台とかずれていたので,もう一度何かあれば大変だったろう。被災後も何とか雨露をしのげたので,自分で何とかやっていくしかないと,そのまま15年住み続けた。ケガはなかったが,年取ってどこか悪くなっていく。この復興住宅に入居して5年。光陰矢の如しで,ここへ来て20~30年経ったような気がする。その間とくに困ったことはない。地震のときに無事だった友だちもだんだん亡くなっていった。親しかった友人も15~16人亡くなったし,この復興住宅に来てからも5~6人亡くなった。去年も一人亡くなった。酒飲み多いし…。気が向いたときに墓参りに行く。家事などはヘルパーを頼まず,自分で。役所の人に笑われそうなので。今迄ほとんど医者にかかったことはない,頭がふらふらするときはアスピリンを飲んで済ませ,それでもダメなら医者に行くが。今は医者もかわった。血液検査してコンピュータでガチャガチャしてやっている。昔は木綿針みたいに太かった注射針も細くなった。今は特に困っていることはない。電球が切れたらLSAに頼んだり,よく相談に行ったりする。訪問前日の1月17日,住宅内の集会所で行われた最後の震災追悼行事は,寒いので行かなかった。これまでも追悼行事には行ったことがない。集会所に行くのは選挙の投票のときだけ。他の催し物があるときは行かない。人見知りするので,なじめないので,しゃあない…。80過ぎて,今から友だち作っても…。朝起きても退屈。ここは病院にしても何にしても遠いので大変。前,住宅内に路上販売が来ていたが,来なくなった。近くのお好み焼き店もつぶれた。足が丈夫なのでどこでも行ける。よく出かける。健康のために,エレベーターを使わず階段を上ることも。(一部自己負担になった,ICカードになった敬老パスを見せていただきながら)市バスの無料券があるのでそれを活用している。この近所はあいさつ程度のつきあいしかない。このあたりは何もないのでつまらない。ファストフードなども行かない。店員の若い女の子が,早口でハッキリしゃべってくれず,よく聞き取れないから。廻りも誰も注意しないので,注したことがあった。趣味は将棋で,60年前からやっている。時間つぶすのに兵庫まで行く。そうすれば誰か相手になってくれる人がいる。住宅から少し離れた敬老施設に行けば誰か居るが,この住宅の中ではそういうわけにはいかない。集会所があっても,いつでも誰でも自由に入っていける雰囲気ではないし…。山の向こうに行けば昔の友だちが居る。今もしょっちゅう以前住んでいたあたりに将棋をさしに行っている。若いときはパチンコに凝っていて,親に怒られてやめた。その頃近くのお年寄りが将棋をしているのを見て始め,60年来の趣味になった。昔は,他の遊びがあまりなかったからか,将棋を指しているとよく見に来たが,今の子どもは,のぞきに来ない。そうして覚えていくものだが,今では50~60歳の人も見に来ない。自分の子どもの頃は,1~6年制が同じグループになって遊んだが,今の子どもたちは同い年同士でしか遊ばない。

・70代男性。兵庫区で全壊。新築のアパートに入居したばかりのところで震災に遭った。階下の住人が亡くなった。長くトンネルやダムの工事に携わり,震災では十五年来の同僚も亡くなった。一緒に働いてきた仲間も,心配してきてくれたりして助けられた。消息がわからなくなったりした。2~3ヶ月公園に張ったテントで暮らしたことも。阪神高速道路の復旧作業員向けのハウスに入り,昼夜ぶっ通しで働いていた。西区の仮設住宅で3~4年暮らした。この復興住宅に入居して16年。身の回りのことは,2~3年前,ヘルパーに頼んでみたら,冷蔵庫にまだ残っているのと同じものばかり買ってきたりして,気が利かず,余り役に立たなかった。自分で時折スーパーまで行く。それ以外は外出せずじっとしている。昨年秋大学病院に入院し手術,今月下旬に検査がある。半端な時間ダシ遠いので行くのが大変。別の病院にもかかっている。ここへは運動がてら歩いて行く。坂道はたいへん。病院は待ち時間が大変。仮設住宅のときは友人もいて,心配してくれたりもしたが,この復興住宅に来てから友だちは出来ていない。亡くなった友人や同僚の墓参りに行く。1月17日に行われる東遊園地の追悼行事には,毎年行こうと思って来たが,今年はとくに体調が悪く行けなかった。ほんとうにごめんなさい,忘れませんから,と思いながら…。この住宅の集会所で,訪問前日に行われた最後の追悼行事にも,寒いから行けなかった。震災のことを,若い人にももっと伝えたいと思う。<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>
「住居,●●町に入って2週間位で…。2階の人は無事でしたが,1階の人が2名なくなりました。当時は仕事で…工事中でしたが,震災時間早く無事でした。家具及び現金も見つからず,作業着のまま公園へ行きました。2週間ぐらいで,(建設業者の)ハウスで生活していましたそれから3ヶ月位で西神●●の仮設に入居して,(平成)11年5月当住宅に当りました。まず一番つらかった事は,友人・仕事仲間10人以上なくなりました。いまでも忘れることは出来ません。一番うれしかった事は全国からボランティアの方々が,高速道路工事等で,感謝の気持でいっぱいです。ありがとうございました。」<前の週の訪問予定に合わせて自身でシート記入>

・70代男性。夫婦2人暮らし。奥さんがもともと神戸の人だったので,北区の市営住宅に転入してきたが,老朽化したため,2~3年して移転することになり,この復興住宅に入居して4年。ここも不便だが,前に住んでいた市営住宅はすごかった。よくこんなところに住んでいたなあと思うほどだった。それを思えばまだマシ。近所づきあいはない。奥さんと一緒に近所に買い物に行く。訪問前日の1月17日,住宅内の集会所で行われた最後の震災追悼行事は,早朝のため寝ていて行かなかった。震災に遭った人は,思いもそれぞれで,色々話すことがある人もいれば,そっとゆっくり過ごしたい人もいるのでは。ボランティアが訪問時に持参した「希望の灯り」の分灯を見て「これ何?」とお尋ねになったので説明した。<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・70代女性。須磨区で全壊。避難所には行かず,身内がいた病院で避難生活を送った。仮設住宅には長く居させてもらった。その間,(先日亡くなった)黒田裕子さんにもよくお世話になった。この復興住宅に入居して9~10年。息子がいるので,今のところ困っていることはない。この住宅の坂道も大変だが,少しづつゆっくりでも上がれればいいか。運動になるかも。今日は風邪で寝ていた。先週も風邪を引いたが,インフルエンザではなく,薬を飲んで,ちゃんと食べている。特に困っていることはない。震災のとき生後1ヶ月だった孫娘も今では大学3回生。高校生のときにも東北に行ったり,1月17日に東遊園地の追悼行事に使う竹灯籠をもっていったりしている。<玄関でお話し伺い。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・90代男性。兵庫区で全壊。震災のときは入院していて,自宅に居なかったが,妻と娘を亡くした。西区の仮設住宅を経てこの復興住宅に入居して15年。ここではあまりつきあいはない。(ボランティア訪問の予告ビラについて)眼も悪いし,脳梗塞の後遺症で書いたりするのもたいへん。耳も遠く,話し声がガーガー行っているように聞こえ,いいたいこともうまく言えず,さみしい。買い物もたいへん。それでも去年おととしまでは,1000円で行ってくれるタクシーを利用して,自分で行っていた。2~3年前までは,このへんでよく運動していたが,今はもうしない。今の外出は,近くの病院や薬局に行ったりするぐらい。

・80代女性。兵庫区で被災。山の上の方だったので,ケガなどはなく,被害はちょっとお皿が割れた程度だった。近く小学校に1泊避難した。人がいっぱいで,トイレに行くのも大変だった。何で校庭に仮設住宅を建てないのかと思った。この復興住宅には普通の市営住宅として一般入居。この復興住宅に入居してまだ3ヶ月。戦争のときの空襲の方が大変だった。1年前に夫を亡くしてさみしい。地震のことはあまり話すことはないし,話したくもない。借り上げ復興住宅に住んでいる人はもっと大変だろう。年寄りをもっと大事にする世の中になってほしい。<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・60代女性。垂水区で被災。「震災時就寝中でした。あのすごい揺れでも親子3人無事でした。一軒家に住んでいましたが,今,現在●●にいます。外壁塗装をしたばかりで,室内は壁は崩れていましたが,何の援助も受けず,今迄過ぎ,何とか現在過ごしています。近くのガソリンスタンドに,水を頂きに行ったのをよく覚えており,大変助かりました。お風呂も近く,天理教,友人,実家と,色お色お世話になりました。」<自身でシート記入>

・60代女性。長田区で全壊。子どもが小さかったので,避難所や仮設住宅には行かなかった。まだ大丈夫だったから…。馬国移転先を見つけた後,この復興住宅に入居して15年。この10年ぐらい体調はよくない。訪問前日に住宅内の集会所で行われた最後の追悼行事には行かなかった。これまでも行かなかった。時間も早いし,あまり震災を思い出したくないので。<インターホン越しに応答>

・50代男性。長田区で全焼。この復興住宅に入居して16年。「(震災のときは?)自宅は全焼。(震災後ご苦労されたことは?)避難所生活,仮設生活。(今お困りのこと,心配なことは?)将来のことが心配。(民間のボランティアなどについて)避難所,仮設の時,ボランティアの方によくしていただきました。ありがとうございました。」<前の週の訪問予定に合わせて自身でシート記入>

・80代女性。西宮市で被災。この復興住宅に入居して10年。「水:50日出ませんでした。瓦斯:57日出ませんでした。大変困りました。今日はお世話様です。脳梗塞にて手が震えて字が思うように書けません。あしからずお許し下さい。ご免なさい。」<前の週の訪問予定に合わせて自身でシート記入>

・少年。訪問の趣旨を説明すると「今,お母さんいないけど…。」学校で地震のことについて習ったり,避難訓練をしたりしている。「しあわせ運べるように」をうたった。<インターホン越しに応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・80代女性。「今日は寒いですねぇ。」,(お出かけですか?)「ダイエーまで。」,「行ってきます。」(行ってらっしゃい)。<住宅内の坂道でお会いしたところにお声がけ。すぐ側には,前日,最後の追悼行事が行われた集会所が>

・70~80代女性。この復興住宅に入居して7年。「ごめんね。うちは震災関係ないので。困ったことはない。忙しいのでごめんね。」<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・60~70代女性。この復興住宅に入居して2年。市営住宅の一般入居できた。今,手が離せないので…。身体悪いところはない。困っていることはない。<インターホン越しに応答>

・30代?女性。この復興住宅に入居して3年。地震のときは神戸にいなかった。申し訳ありません。すみません。<インターホン越しに応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・60~70代男性。「困っていることはない。身体は大丈夫です。いいです。ありがとう。」<インターホン越しに応答>

・70~80代女性。「風邪引いて寝てますので…。」<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・50~60代女性。「うちはいいですよ。」<インターホン越しに応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・70代。この復興住宅に入居して1年。「震災時は「神戸」にいませんでした。」<自身でシート記入>
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 神戸
ジャンル : 地域情報

tag : 阪神淡路大震災 ボランティア 神戸 支援 訪問 傾聴 復興住宅 垂水 希望の灯り

コメントの投稿

Secre

プロフィール

神戸・週末ボランティア 新生

Author:神戸・週末ボランティア 新生
 
We love KOBE Weekend Volunteer

神戸・週末ボランティア 新生の純正ブログです。

神戸・週末ボランティア 新生は、宗教や政党などまったく関係のない民間のボランティアです。寄付や署名の要請、投票依頼、販売行為などはいっさいしませんので、ご安心下さい。

お問い合わせ、ご相談、参加申込などの
メールはこちらからどうぞ。

メールお待ちしています。


当ボランティアは、2016年7月23日、
仮設・復興住宅訪問通算650回をむかえました!

ご案内とお誘い
 
1回だけでも、初めてでも、お気軽に

神戸・週末ボランティア 新生は、復興住宅への訪問活動を行い、阪神淡路大震災で被災された方からの「お話し伺い」(傾聴ボランティア)をしています。

詳細は随時紹介します。

☆新聞で紹介されています☆

産経新聞 神戸版 2014.3.23
「復興住宅訪問600回へ 神戸のボランティア団体 HPで問題共有
「時間重ねて見える問題も」「復興住宅訪問600回へ 神戸のボランティア団体

神戸新聞 神戸版 2014.3.23
住民の悩み聞き続け 神戸・週末ボランティア 新生 「将来の一助に」 復興住宅訪問、仲間募る

毎日新聞 神戸版 2014.3.23
「神戸・週末ボランティア新生」、被災者訪問30回目/兵庫

産経新聞 神戸版 2010.11.28
若者にも被災者支援の輪 神戸市民グループ「週末ボランティア」

当ボランティアは、2014年3月30日、
仮設・復興住宅訪問通算600回をむかえました!

This is 神戸・週末ボランティアYahoo! JAPANカテゴリ登録
されています。

Twitter - welove_kobe
MixiコミュニティMixiページ
掲示板FacebookページGoogle+Instagram
もよろしく!

おことわり
類似名称を用いているものにつきまして、2013年以降、神戸・週末ボランティアに(代表:東條健司)などの追記をしたものは、1995年に活動を始めた「神戸・週末ボランティア」及び当〈新生〉とは関係ありません。



カテゴリ
Twitter
Facebook
最新記事
月別アーカイブ
リンク
検索フォーム
QRコード
QR