第41(新生166)回訪問活動 (2014/09/07) レポート〈今季のまとめと震災20年への展望,仮設・復興住宅訪問通算608回〉

垂水東口・いかなごのモニュメント 丹波豪雨土砂災害への募金活動をする舞子高生毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧くださいまして,まことにありがとうございます。

そして,阪神淡路大震災20年を控える中で,新たに,或いは今一度,関心をお寄せにな,このページをご覧くださっている方も少なくないと存じます。改めてご挨拶させていただきます。これからもよろしくお願いいたします。
 
残暑厳しいベルデ名谷4~7番館不定期でささやかな活動となりましたが,新たな活動主体のもと,2014年の夏季も,神戸・週末ボランティア 新生では,「忘れない、寄り添う、「息の長い支援」は神戸から」というテーマのもとで,この夏季も,酷暑を避ける形でスケジュールを組み,阪神淡路大震災の被災者が暮らす,神戸市郊外の復興住宅(神戸市営住宅・ベルデ名谷,垂水区)への訪問活動をさせていただきました。

このシーズン8回にわたった取り組みの総仕上げとなったこの日の訪問活動は,前日に引き続き,暑さもやわらぎ,好天に恵まれたなかで,行うことができました。

アライグマに注意! これではかえって危ないでしょ!?ボランティアの集合場所としている,垂水東口のいかなごのモニュメントがある広場や,その近辺では,昨日に続き,県立舞子高校防災科の生徒さんが,丹波や広島の豪雨土砂災害の被災者支援のための募金活動に取り組んでいました。見守っている先生の話では,夏休み中ながら,いち早く現地に赴いた生徒もいるとのことで,現地での情報収集に当たった行動力と判断力に頼もしさを覚えました。

神戸市営住宅・ベルデ名谷3番館横近く訪問活動では,前日以上に多くの方々と対話を実現し,貴重で充実した「お話し伺い」ができましたことに,感謝したいと思います。同時に,前回同様,いやそれ以上に,予定時刻(午後2~5時)を大幅に過ぎてお伺いするところが続き,最終的に終了したのは7時半過ぎと,新たな活動主体となって2番目といっていいものになりました(ちなみに,もっとも遅くまで延びたのは,昨2013年4月13日,淡路島地震が発生した日で,あわせて,旧グループ以来の支援活動が通算600回に達した日でした)。

もっとも,旧グループにおいて,仮設住宅訪問を行っていた頃には,話し込んで深夜近くに及ぶケースもありましたが,そういった場合でも,訪問自体は予定時間内から始まっていたものでした。

遅くなってお伺いしたことに,お詫び申し上げますとともに,そうした無礼・失礼にもかかわらず,お話し伺いに応じてくださった方々に,改めてお礼申し上げます。

夕暮れのベルデ名谷5~7番館この日に予定していた訪問活動をすべて終えた頃には,すっかり陽も暮れ,わずかな残照が,住宅の間から,西の空に見えました。日が短くなったところに,秋の訪れを感じました。

今2014年に入って,とりわけこの夏以降,さまざまなメディアが蓄積してきた,或いは新たに収集した情報発信がみられます。とりわけ地方自治体などの公的機関などの行政サイドから,聞き取り調査やウェブサイトなどを通じた情報発信の動きが,みられるようになってきました。その一方で,支援活動における世代交代の動きも進むようになり,地域コミュニティーや住民自治,互助活動などでも,同じような傾向にあるようです。

「最後の復興住宅」といわれるこのベルデ名谷においては,その当初から,行政サイドの主導下で,自治会づくりが進められるなど,地域コミュニティーの「上からの組織化」がはかられていました。これは,阪神淡路大震災以降,被災地各所で展開されてきた,仮設住宅・復興住宅における被災者自身やさまざまな支援活動に対して,いわば行政サイドが教訓化して,イニシアティブを発揮しようとしたと言えるものでした。それが,歳月を経る中で,住民の高齢化が進み,被災経験がなっかたり稀薄であったりする一般入居者が増加するなど,住民の構成やありようが変わる中で,機能不全やムリ・矛盾が生じるようになったことに対して,テコ入れを図り,そうしたものの「モデル地区」にしようと,当ボランティアの訪問の後に,行政の下請的団体などを通じて,予算と人員をつぎ込んで,全戸からの聞き取り調査を予定するという動きに出ているようです。

そうした中で,「宗教や政党などまったく関係のない民間のボランティア」に対する期待とニーズが,いっそう鮮明に浮き彫りになり,さらにはミッションも明確化していくことが解ります。

行政や公的機関に言えないこと,言ってもダメだったこと,近所づきあいや人間関係から遠慮して,住民同士では言えなかったり言いにくかったりすることなど,本音を語ってくださる方も多くなっています。もちろん,プライバシーや守秘義務,それ以前に道義的観点から,それらの内容については公表できないものも少なからずありますが,いっさいのしがらみのない,私たちを,信頼してくださっていることに感謝したいと思います。

こうした期待に応えるべく,これからもいっそうしっかり傾聴させていただきたいと思います。このことがすなわち,阪神淡路大震災以降盛んに言われるようになった,「心のケア」の原点になるものですから。また,そうした「上から」の動きへのオルタナティブはもちろん,時にはカウンターとなることも重要です。

そしてもうひとつ。当ボランティアの特徴は,あくまで「外部」として関わることです。そうした立場ならではのミッションを自覚して取り組んでいきたいと思います。

新たな活動主体のもとリフレッシュスタートしてからは初めてとなりますが,旧グループを含めれば約10年ぶりとなる,この復興住宅への訪問活動には,旧グループでの訪問活動に期待を持つ方もいらっしゃれば,そうでない方もいらっしゃるのは,当然です。それらを受け止め,糧とするべく,私たちボランティアも,心の余裕を持てるようになってきたのではと思います。

この1年あまりにわたって,半分以上のお宅を廻らせていただいた中で,いい意味で,定着しているのが実感できることに,感謝したいと思います。

次回の訪問活動は,早くて晩秋,遅ければ冬になってからになるでしょう。阪神淡路大震災20年に向けて大詰めを迎える時期になりますが,この夏の集中的な取り組みを,次回,次のシーズンに,備えたいと思います。それまでしばしの間,ごきげんよう。

ご参加,ご協力いただいた皆さんをはじめ,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じてご縁をいただいております,すべての皆さんとともに,成果を分かちあえますことに感謝したいと思います。


この日伺ったところの概略です。

・70代女性。長田区で全壊。1階にいた娘も無事だった。火の粉が飛んでくる中,家が倒れてきて,まっすぐ逃げられず,がれきを避けながら逃げた。途中,歩けないおばあちゃんがいたので,買い物のカートに乗せて一緒に逃げた。近くの小学校に避難しようとしたら,近くまで火が迫っていたので,別の小学校の避難所へ向かったら,来るのが遅かったのか,居場所がなく,校庭にいた。たき火をしてカレーを作ったりしていた。ぎりぎりで焼け止まって大丈夫そうだったので,先の小学校に戻って避難することに。風向きが変わり,そこまで火が回らなかったようだ。かつて拝んだ田舎の氏神様が火の神様で,守ってくれたのだろうか。西区の仮設住宅へ。(壊れた家の)近くの公園にも仮設住宅があるのに,何でこんなところに,と思いながらやってきた。雨が降ったらすぐ水が溜まってたいへんだった。野犬が怖かった。仮設住宅から何とか歩いていけない距離ではないところのコープさんの組合員が増えて買い物が便利になったのと,病院に行くのにバス停が近かったことは助かった。(難儀しているのは)私だけじゃないし,楽してる人は居らんと思えるようになった。この復興住宅の竣工まで,1年余計に待って,最後までいた。当時はまだ若かったから,あちこち見て回ったが,ここだけはイヤだと思っていたら当たってしまった。この復興住宅に入居して16年。ここにはできた最初から入居している。出かけるときは手すりを伝って,エレベーターを乗り継いでいく。クーラーや扇風機は使わない。風が当たるところで寝る。玄関の鍵穴に接着剤を流し込まれる被害に2度も遭い,修理代が高くかかった。手足の痛みに薬がなかなか効かずたいへんだ。人の世話にはなりたくないと,一生懸命で,ようやっとのことでできるのに,わざと大げさにしんどがってると思われるのが辛い。リュックに手を通すときがいたい。リハビリに週3回,デイケアに週2回通っている。帰ってくるとどっとしんどい。生きるのはたいへんなことだと思う。長生きの家系で,みな90過ぎまで生きていて,中には102歳まで生きた人も。うちの中にいると調子悪い。人の中にいないと,何で生きてなあかんのと,暗いことばかり考え,自殺を考えたことも。思い詰めるといけないので,外出するようにしている。終戦の日,まだ燃えた家がくすぶっていて,水汲みに来た女学生に「この子らかわいそう」と言われて泣いていたのを思い出す。若い頃,東京の女中に出たとき,お腹が空いて辛かったが,ぎりぎりのところで死ねなかった。ここはアンケートや宗教の勧誘が多い。当ボランティアの予告ビラを入れてからの1週間の間にも,それぞれしつこく来たが,それでかえって,ボランティアとの違いがハッキリ分かったのでと,お話し伺いに応じてくださった。

・80代女性。東灘区で全壊。この復興住宅に入居して16年。ここにはできた最初からいる。ここへ来て身体よくなった。空気がいいので…。被災時,両足をはさまれたが,すき間から見つけてくれた近所の人に助けられた。長年,勤めの傍ら,ボランティアで踊りを教えてきた。自身でも色々な催しで出演してきた。踊りは2歳から始めていて,ロックやジャズもこなす。高齢者施設に行って教えることもあれば,自腹で集会所などの施設を確保して教えたりすることも。この復興住宅に入居してからも続けていて,この住宅裏のグラウンドで盆踊りをしたときも教えていた。テレビを見て振り付けを考える。集会所で子どもたちに踊りを教えるのが夢。この棟の自治会長(だった方)から頼まれて,近所の世話をしている。ヘルパーに来てもらって足湯をしてもらったら,熱すぎて火傷してしまった。補償はなく,その時は自殺も考えた。椅子に座るのはいいが,正座はできない,自分で工夫して,靴も障害者用の着脱しやすくされたものに。見かけは何ともないがしびれる。泣いては前に進めない自分一人で泣いていたら済む,人の前ではダメと,何とかして,少しずつ踊った。洗濯や料理は自分でする。買い物はヘルパーに頼むことも。踊りがあったからよかった。米寿のお祝いに踊った。軽い脳梗塞になったこともあるが,今は何でもできる。今の人との違いをひしひしと思うことがある。人の温かみがない,思いやりがないと思うことも。人間はお金をもつと変わってしまう。亡くなった夫は囲碁の先生をしていて,「何かあっても,いい時のことを思って前へ前へ進め!」と言っていた。このことを若い人に言いたい。想い出は多い方がいい。趣味がある人とない人とでは強さが違う。色々なことを引きずっていては,前に進めない。自分も強くなった。泣き言は言わない。<予定時刻を遅れて訪問,買い物に行ってくれている踊り仲間が来訪していた。踊っているときや教えているときの写真を見せていただきながら,玄関内でお話し伺い>

・70代女性。灘区で全壊。警察署のあたりから火が回ってきて,うちの近くまですっかり焼けたが,風向きが変わって焼け止まり,うちは助かった。家具も何もかも失った。近くの小学校に避難し4ヶ月を過ごした。「助けて」と言われても助けられなかったことから,そこでも何かしようと思い,地区の自治会で炊き出しをしたり,玄関前で案内係をしたりした。北区の仮設住宅では4年いた。仮設住宅の立ち退きが遅かったので,ここへはいちばん遅くに入った。結構すごかった。この復興住宅に入居して16年。近所づきあいが難しいと感じることも。「最後の復興住宅」だから…。命が助かったから何か奉仕活動をしたいと思い,その後も色々なボランティア活動に。県関係の活動を主にしてきて,のじぎく国体や淡路花博ののお手伝いもした。1月17日の三宮・東遊園地での炊き出しも。各地からの人と交流すると,すごいなあと思うことも。色々勉強させてもらった。何か一生懸命にしていないと生きてられへん。ボランティアが好き。変な人が来ないから。震災20年に向けて,と思っていたが,目の調子が悪くなってきたので,ボランティアはやめようと思った。今は目薬で何とかしているが,近々白内障の手術をしなければ…。ボランティアが訪問したときは,近くのスーパー銭湯から帰ってきたところだった。風呂に行くのは楽しい。<予定時刻を遅れて訪問>

・80代男性。長田区で全壊。被災時は自宅近くの病院に入院していたが,家を観に行ったらつぶれていた。母とともにしばらく住んだあと,西区の仮設住宅に入居,そこには3年居た。。この復興住宅に入居して16年。早期竣工予定の2棟を建設中に見に来たこともあったが,その際,パンフレットには「動く歩道」ができると書いてあったのに,途中で会社がつぶれたのか,できないままになっている。不便や。「動く歩道」をつくってほしい。できんことない。そうしてくれたら年寄りは楽なのに。この部屋は,西日が入るが,風が通るので涼しい。網戸はかけているが,ドアポストが使えない。外出時には「シルバーカー」,押し車の歩行器を使用。杖より楽。市は,税金を収めている人に米寿のお祝いをしない。昨日まで住宅側の病院に入院していた。検査をしたが詳細は不明。

・70代女性。兵庫区で全壊。マンションだったが,住居になっている2階が事務所になっている1階を押しつぶし,誰かいたらけが人が出るところだった。垂水区にいた姉がいちばんに駆けつけてくれた。身内にけが人はいなかった。ストレスで舌を噛んで,ものが食べられなくなったことも。西区の仮設住宅へ。風で飛ばされたりしないよう,ワイヤーロープを張っていた。すきま風がひどかった。部屋のすぐ前がいきなり広場なので,覗かれたり,声をかけられたりすると怖かった。ユニットバスが使いにくかった。ここの階段はたいへん。(当初できるとされていた)「動く歩道」がなくなっていた…。被災前に住んでいた近くに借り上げ復興住宅があるが,20年の期限が来るから出ていてというのはひどい。<この復興住宅に入居して親しくなった方と一緒にお話し伺い>

・80代女性。一人暮らし。兵庫区で半壊。兵庫区内の仮設住宅へ。よく覚えていないが街中だった。この復興住宅に入居して16年。身体は元気で病院いらず。外出時は押し車の歩行器を使用。買い物は週1回のヘルパーに頼むが,食べ物をつくるのが好きで,おかずは自分でつくる。近所づきあいはしている。仲良くしている人がいて,何かあったととき来てくれる。何も辛いことはない。父母を早くに亡くし,子どもも亡くなった。戦後間もなく,戦争中に患った病気がもとで,夫を亡くしたが,この人以外には考えられないと,再婚はせず,一途に貫いた。たった一人,それがたいへん。戦争中を乗り越えてきたから何でもできる。成せば成る。人を助けると必ず自分も助けられる。<来意を告げたところ,しばらくして出てこられた。玄関前でお話し伺い>

・80代女性。東灘区で半壊。住んでいたのは長屋だった。避難所に迎えに来てくれた息子宅へ。仮設住宅は六甲アイランドに。浜の方だったが,2部屋あって,目隠しがしてあったのと,風呂とトイレが別になっていたことなど,(粗末なプレハブではなく)大手住宅メーカーがつくったものだったので,まだよかった。3~4年過ごし,最後までいた。もともと住んでいた東灘区の復興住宅には,もともと市営住宅に入っていた人を優先するとのことで,入れなかった。この復興住宅に入居して15年。ここに来て仲良しの友だちができた。以前,一緒にテレビに映ったこともある。この頃は敬老祝いの行事がある。顔色がいいのは顔剃りをしてきたからと,にこやかにお話し伺いに応じてくださった。<この復興住宅に入居して親しくなった方と一緒にお話し伺い>

・90代・80代夫婦2人暮らし。兵庫区で全壊。避難所は長田区や北区まで転々とした。仮設住宅には行かなかった。この復興住宅に入居して16年。あっちこっち申し込んでもダメで,市営住宅がなかなか当たらず,最後にやっとここが当たった。ちゃんとした家が当たらず,困っていた。ここへ来るまでにだいぶかかった。年寄り向けでええよと言われて来ることに。ここでの生活は慣れた。ちゃんとしてもらっていることに感謝している。こけるから外出できない。80歳頃までは自分の歯があった。こけたときに歯を傷めて,抜かなければならなくなり,入れ歯になったとき,死ぬことだけを考えていた。夫が買い物や,身の回りのことをしてくれる。夫がいてくれたから,ここまで生きてこられた。

・50代女性。垂水区で半壊。この復興住宅に入居して16年。夫婦と4人の子どもの6人家族で入居したので,狭かった。建物のあちこちにひび割れや汚れが目立つなど,ちゃちい造りだ。換気扇の修繕も自己負担だったが,風呂の給湯は公費から出た。竣工後最初から入居しているが,一般入居で入った。今日は夫が犬の散歩をしていたが,娘がすることも。以前はもっと大きな犬を飼っていて,近所づきあいがたいへんだった。長女が同じ復興住宅の別の棟に住んでいて,これから帰るところ。孫も来ていて,送迎バスで保育園に通っている。たまに近くのスーパー銭湯に行く。<向かう途中,エレベータで犬の散歩帰りの御主人と一緒になったため,そのまま同行。予定時刻を遅れて訪問>

・70代女性。長田区で全壊。(長田区でも被害が少ない地域だったが)あの辺で全壊したのはうちだけだった。西区の子どものマンションに行ったので,仮設住宅には入っていない。この復興住宅に入居して15年。竣工から1年遅れて入った。七区なので嬉しかった。入居当初は,仕事をしていたので,やめてから近所づきあいが始まった。今も車を運転して,友人の風呂や買い物も引き受ける。ここに来て仲良しの友だちができた。いつも三人一緒。以前,一緒にテレビに映ったこともある。ここの並びはつきあいがあるが,他はつきあいがないところも…。もうすぐ役所の方からも何か聞きに来るみたい。<この復興住宅に入居して親しくなった方と一緒にお話し伺い>

・70代女性。兵庫区で半壊。近くの小学校の避難所には,子どもだけが行って,透析患者だった夫は家で寝ていた。仮設住宅がなかなか当たらず,3回目でやっと当たったのは加古川だった。夫を自衛隊が来て連れて行ってくれたが,その年のうちに亡くなった。仮設住宅で3~4年過ごした後,垂水区内の賃貸住宅へ。太陽の光も入らない,暗くて臭うところで8ヶ月過ごし,復興住宅の完成と入居を待った。この復興住宅に入居して15~16年。近所づきあいは普通。身体は悪いとことはない。足腰も大丈夫。ここはいいところ。山歩きもしている。<予定時刻を遅れて訪問,自身でシート記入の上お話し伺い>

・80代女性。3月に訪問させていただいて以来,半年ぶりに再会。カートを杖代わりにして,ゴミを捨ててきたところとのこと。前に会ったときは杖をついていなかったのに…。土・日はLSA(Life Support Adviser 生活支援員)もいない。そのため「3日食べていない」という人のお世話にいっているところ。何かあったら電話してくる人なのだが…。行政の「見守り」だけではダメ。だから民間のボランティアにがんばってほしい。<訪問活動中にお会いした>

・40~50代女性。この復興住宅に入居して15年。神戸で被災した母は,避難所や仮設住宅などには行かず,当時自分がいた県外に来た。市営住宅を申し込んで当たったので,ここで同居することにした。ここにはもう慣れた。高齢の母の介護をしている。足が特に不自由で,外出すると危ないのであまり出ない。<インターホン越しに応答>

・50代男性。垂水区で被災。家財・身体とも被害は特になかった。この復興住宅に入居して10年近く。ここへは市営住宅の一般入居で入った。糖尿病や合併症などの治療を続けているが,調子はボチボチ。仕事はバスで垂水へ。すぐに行けるところで,内職みたいな仕事をしている。<予定時刻を遅れて訪問,玄関前でお話し伺い>

・70代男性。(このたびは別の調査と)かち合いますので…,うちはいいです。「いいです。」<玄関で応答。自身でシート記入されたが,挨拶をかねて,ボランティアの趣旨説明>

・40代女性「(今日も)ボランティアですか?」<訪問翌日に住宅内のエレベーターに乗り合わせる。ボランティアの趣旨などを説明>

・70代男性。この復興住宅に入居して5年。一般入居で,地震の経験はない。<インターホン越しに応答。予定時刻を遅れて訪問>

・70~80代男性。「ごめん,風呂入ってる。」<浴室内から応答。訪問が遅くなったことのお詫びとあいさつ程度の対話に>
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メールはこちらからどうぞ。

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当ボランティアは、2016年7月23日、
仮設・復興住宅訪問通算650回をむかえました!

ご案内とお誘い
 
1回だけでも、初めてでも、お気軽に

神戸・週末ボランティア 新生は、復興住宅への訪問活動を行い、阪神淡路大震災で被災された方からの「お話し伺い」(傾聴ボランティア)をしています。

詳細は随時紹介します。

☆新聞で紹介されています☆

産経新聞 神戸版 2014.3.23
「復興住宅訪問600回へ 神戸のボランティア団体 HPで問題共有
「時間重ねて見える問題も」「復興住宅訪問600回へ 神戸のボランティア団体

神戸新聞 神戸版 2014.3.23
住民の悩み聞き続け 神戸・週末ボランティア 新生 「将来の一助に」 復興住宅訪問、仲間募る

毎日新聞 神戸版 2014.3.23
「神戸・週末ボランティア新生」、被災者訪問30回目/兵庫

産経新聞 神戸版 2010.11.28
若者にも被災者支援の輪 神戸市民グループ「週末ボランティア」

当ボランティアは、2014年3月30日、
仮設・復興住宅訪問通算600回をむかえました!

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おことわり
類似名称を用いているものにつきまして、2013年以降、神戸・週末ボランティアに(代表:東條健司)などの追記をしたものは、1995年に活動を始めた「神戸・週末ボランティア」及び当〈新生〉とは関係ありません。



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