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第13(新生138)回訪問活動 (2013/04/13) レポート 〈支援活動通算600回〉

DSC_0957s.jpg毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。不定期でささやかな活動となった神戸・週末ボランティア 新生ですが,3月に続いて4月前半も集中的に取り組むこととし,2週目の週末にも土曜日・日曜日と続けて行うことにしました。
4月に入ってからも,忘れない、寄り添う、「息の長い支援」は神戸に聞こう!のテーマのもと,3月にパワープレイ~ヘビーローテーションを敢行した地平に踏まえ,訪問活動を続けることとしました。

この日の早朝,淡路島北西部を震源とする,最大震度6弱の地震が発生,神戸市内や阪神間,大阪でも震度4程度に及ぶもので,昼頃まで,鉄道などの交通機関の乱れが続く中での訪問活動となりました。主宰者ほかの参加者が,定刻に集まれただけ,ありがたいというべきものでした。

この地震のエネルギーは,阪神淡路大震災の何十分の一かのものとされますが,阪神淡路大震災で動いた断層の近くの,未知の断層から生じた,大震災以来の揺れで,しかも,日が長くなって明るくなっていたとはいえ,早朝5時33分という,大震災を想起させるものでした。

これで,18年前の大震災を想起して,心身の不調を訴える方もいらっしゃるだろうと言うことを心に留め,そのお見舞いを心がけて,お話し伺いに臨むことにしました。

2年前の,東日本大震災の翌日にも,神戸・週末ボランティア(旧)では,訪問活動を行い,こんなときに話したくないという住民の方に,無理矢理,もっともらしい言質をとり,己の一方的な思いをぶつけるほか,なにがしかの目的に利用しようとする者がいましたが,それは,「心のケア」とは相反する,粗暴で稚拙なもので,ややもすればPTSDを発症・再発させかねないものでした。

その際の反省を活かし,まずもって,寄り添う姿勢を第一に,それにふさわしい態度で臨むことを心がけました。もちろん,こんなときに話したくない…,といわれれば無理強いしないつもりでいました。そうした態度・姿勢がかえって,率直な言葉を引き出すことになったのでしょう,多くの貴重なお話しを伺う機会へと,転化することが出来,望外の成果に感謝するばかりです。

予告ビラに,

この訪問活動は、去る2005~6(平成17~8)年に、「お話し伺い」に廻ったグループ「週末ボランティア」の有志である主宰者が、新たなメンバーで始めたものです。神戸市内各所の仮設住宅や復興住宅を廻ってきた経験を顧みて活かそうと思っています。



とあるように,神戸・週末ボランティア 新生の活動は,昨年までの活動の,良いところを継承・発展させるとともに,誤りや旧弊を断ち切ったもしくは改め克服したところから出発しました。まさにその真価が試されるところでもありました。

今回は,先週の荒天とうって変わっての,初夏を思わせる暖かさと好天の中での中で行いました。前日(12日)に,14日分ともあわせて,予告ビラを入れさせていただきましたが,お留守なのか,投函した予告ビラがドアポストに残されたままになっているのが目立つなど,在宅状況が懸念されるものでした。元気でお出かけされているのなら,それまた結構なことですが…。

ありがたいことには,お部屋に上げていただいての,長時間にわたるお話し伺いが増えたともに,自らシートに記入して下さった方も目立ちました。活動をそれだけ受け入れて下さったことに感謝です。

そうしたところから訪問活動は,予定の午後5時を2時間ほど超えて,ようやっと終了しました。遅くになってからお訪ねさせていただいた方には,ここでお詫びさせていただきます。

訪問活動終了後,春日野道商店街のカフェで,この日のまとめをさせていただきました。お話しを伺いながらとらせていただいたメモや,お書き下さったシートなどを点検・確認しながら,この日の活動の充実ぶりを,改めてふり返ることができました。

そしてもうひとつ。今回の訪問活動は通算600回目の支援活動となりました。

神戸・週末ボランティア(旧)では,阪神淡路大震災後の1995年1月28日,避難所での炊き出しを行ったのを活動の出発点とし,避難所での支援活動を,5月まで20回にわたって行った後,2012年末までに,神戸市内各所の仮設・復興住宅への訪問活動を567回行ってきました。これに続いて今2013年1月からの,神戸・週末ボランティア 新生の13回を加えると,600回となります。

これまでの活動を受け入れ協力していただいた,すべての皆さんに感謝いたします。

前身となったグループのメンバーによる震災直後の支援活動が他にも行われていたという話しも聞いたことがありますから,実際の回数は若干上回るでしょう。一方,この600回のすべてに渡って参加した者もおりません。そして何より,この600回のすべてが,被災者への支援活動としてふさわしい,有意義なものであったかについては,率直に顧みなければならないでしょう。

これを記念する,まして祝うなどというのは,早朝の地震をうけてというだけでなく,そうした経緯を考え合わせれば,慎むべきでしょう。むしろこれを機会に,改めて謙虚さをもってしたいと思います。

それはまた,真の志は謙虚さより出ずるとの信念からでもあります。


この日伺ったところの概略です。

・70代男性。中央区で全焼。この復興住宅に入居して15年。震災後の自殺者や仮設・復興住宅で亡くなった方の多さに心が痛む。この復興住宅でも,同じ階で10人ほど亡くなっている。「大きめの石棺に入りて時を待つ」心境。西区の仮設住宅には300人ほどがいたが,10年後の同窓会には60人ほどしか連絡がつかなかった。東日本大震災の被災地でも,避難して仮設住宅に入って,自殺者が増えるのが心配。阪神淡路大震災は,あらゆるものが絶たれる「絶震」だった。被災時には救助活動に携わった経験も。ビルが木っ端微塵になるさまや,断層の上に建っていたのであろうか,ひどい壊れ方をした建物,救助できずに亡くなった人,損壊して治療ができなくなった病院が遺体置き場になったことなどが,いまだに目に焼き付いている。避難所も無秩序だったが,戦時中の知恵を活かして,まとめていった。ときにはユーモアで和ませた。2000人近い避難者がいたのに,毛布が遅くになってやっと来たら140枚しかなく,「取り合えば足りない,譲れば余る」と,小さな子どもや病人に優先して配るなどした。公衆電話に長い列ができたので,「元気です」など,3分間だけ話して切るように呼び掛けたりした。人と防災未来センターに,被災時に使用したヘルメットなどを寄贈した。生き残った者が語り伝えねば。数年前,隣接地で発生した異臭については色々あった。今更それを言ってもどうなるのかと思うが,離れた棟の部屋でも場所によっては具合が悪くなった人もいたようだ。身体は悪いが,気力で頑張っている。訪問前日,みんなでタケノコ取りに出かけていたが,木が風に揺られるさまから,不吉な予感がしていたら,今朝地震が起こった。防災用品などを準備していた。ガンで闘病10年の末に亡くなった奥さんの安らかな姿の写真を携帯に。献身的な介護・看病の末に看取った。
「人を説いて応えずんば其の熱に反れ。月に二度そっと戸が開く老いの冬。
小さなゴミ袋をそっと捨てにゆく老いの哀しいかな。
支え合え力を合わせ手を合わせ。それぞれの心の珠の輝きが眩しくしみて涙だにじみぬ。
週末ボランティアの皆様,お励まし有難う。被災者一同から心の金メダルをお贈り致します。」
「H.25.5.13. 5:33分又も腰抜ける地震
神さまも手違いはある許すから遺りし人を護り給えよ。
浮世の風に叩かれて余命短き老人の弱れる心慰めよ!」
「今生の最後の別れと成らむかも今労りの言葉交さん。
棟崩る母児の血しぶき交じり散ぶ。H.7.1.17.5時46分52秒
後追うごと幾人逝くや昨日今日。
みなの罪,背負いてゆきし彼の人にどの心もて祈りささげん。
罪も無きあゝ母や児に泣き詫びぬ今生きおれる君も私しも。
我が体だ裂きても与えん汝れこそに其の心もて今日を祈りぬ…。
身代りと成りて我等を守りしかそれほど人の好きを惜しみぬ。
震災のあの大火煙は尚消えず今日も神戸に香煙の立つ!
幾千の御霊安らかに眠らせと涙手向けて語り継ぎおり
地球よ静まれ百禍を除け!
忘れずに思い出しやる供養かな」<お部屋に上げて戴いてお話し伺い。自身でシート記入>

・80代女性。中央区で全壊。被災時は古い文化住宅に家族3人で住んでいて激しく揺れた。2時間半生き埋め状態の後,解体業を営む向の人に救助された。「助けたる!」の声に励まされたが,2時間半は長かった。何の傷もなく助かった人は珍しいと言われた。近くで亡くなった人は多い。近くの学校に避難した後西区の仮設住宅で2年余りを過ごす。西区の復興住宅を経て,この復興住宅に入居して3年近く。西区にいた頃,仮設住宅の生活や,孫の写真をたくさん撮った。胃ガンを患い,首が痛くなるなど,他の症状も出てきたので,他の医師に診てもらったり入院したりしていた中,5年前脳梗塞で倒れた。半身不随になったところから回復したが,記憶障害が残ったとのこと。今朝の地震は怖かった。長く書道師範をしていた。壁には,お孫さんの小学生当時の書道作品。現在は大学3回生で少林寺拳法の師範をしているとのこと。震災当時は幼少で,震災のことを話してもあまり解らない。当時撮った写真はあるが…。淡路島出身で,戦時中に関西へ。電話交換やモールス信号などの通信,為替や保険など,郵電分離前の一通りの仕事が出来るようになった頃に,勤務していた郵便局が空襲で被弾・炎上,局長は死亡。給料などをきちんともらえないまま局を辞めて敗戦をむかえた。戦争も怖かったが震災も怖かった。それでもええ経験してきたと思う。「震災時着の身着のまま,パジャマ・はだし。助けてくれたのは向いの御主人でした。3時間たつと咳・熱で…入院致しました。そこの…先生,女性ですが,良く気のつく方で色々と助けて頂きました。不幸中の幸いです。そしてよくなり…紹介され避難させてもらい,学校も始まると云う事で,行き先を必死に当たりましたが落選ばかり。西区なら入れると云う事で,6月8日…仮設住宅に入れられました。すぐ(自治会の)会長も決まり,私は役員に付けられ必死に動きました。而し皆さんの色んな世話をしていると1日早く楽しく仲間も出来,いよいよ仮設(住宅)を出る事になり,中央区を2年間申込み続けたが,市の方が大勢来て,「入居出来ない所ばかり申込んでは駄目,団体の所へ入れるぞ」と云われ,私は市の方の云う通り西区を申込み,平成9年の終り入居することが出来,そこでも年2回中央区の住宅を申込み,落選ハガキが16枚たまり,ヤット市から,「当選よ,もう貴方明日から…歳よ,おめでとう」と云われたが,年取りすぎて中央区に来てもなかなか相手が出来ません。淋しいです。西区では,書道,物作り,ゲートボールと,何でも来いでして居り,人にひけることはなかったが。」初孫は,西区の保育園で,3歳まで言葉を発せず,母親がほりっぱなしなので悪いと言われた。<予定時間より大幅に遅れて訪問。お部屋に上げて戴いてお話し伺い。自身でシート記入>

・60代女性。灘区で全焼。住んでいる一画だけが焼けた。ホースをつないで消火しようにも水がなく,ただボーッとみているだけだった。近くの小学校に3月まで避難。寝るところがなく,身体が不自由な母と机に座っていた。西区の仮設住宅で3年過ごした。夏は暑く,冬は寒さで水道が出なかったり,配水管が凍ったりしたことも。畳の隙間から草が生えてきたり,蟻や虫が出てきたことも。雨が強いと水たまりがすくできた。近くにはヘビやキツネも。畑を作ったり,タケノコを採りにいったりして,楽しかったことも。買い物は不便で,交通の便も,バスはあっても早くに終わってしまうので不便で,車いすの母を病院に連れて行くのが大変だった。ボランティアが色々な催しをしてくれ,今でも交流がある。この復興住宅に入居して15年。隣が会社・工場なので,出入りの車の騒音や排気ガスで空気が悪いのが辛い。近所づきあいはあまりない。体調は,いつもボーッとしていることが多く,病院通いしている。隣接地で異臭が発生したとき,鼻水や涙が出て,のどもも痛くなった上,入浴中に気分が悪くなったことも。夜,寝付きが悪くなっていたところに追い打ちをかけられたような感じで「わりと大変だった」。今朝の地震は大丈夫だった。

・60代女性。中央区で半壊。タンスが倒れてきたが,コタツの上に乗っかったので,下敷きならずに助かった。道路の向こう側で出火,窓が焦げて火が飛び散ったが,道路が広くて救われた。震災では焼けるのを防げないものだと思った。東日本大震災でも,防波堤などが,津波を防げないばかりか,かえって被害を大きくしているのではと思った。仮設住宅は北区だったが,仕事先が交通費を出してくれるというので,六甲まで下りて,神戸を経由して須磨まで行った。この復興住宅に入居して15年。ボランティアの訪問予告のビラを見た翌朝に地震があったので「あまりにピッタリなので『エー』という感じ。こんなに地震に巡り会うとは…。阪神淡路大震災→東日本大震災→今朝の地震と,また巡ってくるのかしら…。」この復興住宅は,耐震性を考えて建ててくれているはずなのに,けっこう揺れた。今朝の地震のときは,たまたま目を覚ましていたので,即テレビをつけた。数年前に隣接地で異臭が発生したとき,自分は何ともなかったが,近隣では結構臭ったという人や,ずっとマスクをしていた人もいた。

・50代女性,母(90代)と暮らす。中央区で全壊。近くの小学校に避難したが,教室は既に一杯で,体育館に寝泊まりした。電器製品などは買い直した。仮設住宅は,近くを申し込んだが当たらず,垂水区へ。高齢の母を一人にはできず,一緒に移らざるを得なかった。この復興住宅に入居して10年以上。上からゴミを捨てられたりすることがあり,防護策にペットボトルが載っていたりすることがあるのが気になる。セールスの変な電話がよくかかってきて,警察に相談確認してもらったことも。註文していない商品を配達してくる押し売りに遭ったことも。三宮まで行くのに必要な自転車を2回も盗られた。早朝の地震は,ビックリして目を覚ましたが,大丈夫だった。揺れは怖かった。数年前,隣接地から異臭が発生したとき,自分は大丈夫だったが,母は少し具合が悪くなった。昔は長田でケミカルシューズ製造の仕事をしていた。シンナーや薬品を使うので,吸い込んで気分が悪くなったことも。

・80代男性。「ないようをよみました。私共おかげをもって今の所夫婦ともにくらして居ります。ぎょうせいの過分のはいりょをいただいて居ります。そして又わが子と共におい,めい,が,私共のこうれいを心配してつねによくたずねてくれてます。したがって何の心配もなくくらして居ります。淡路大しんさいの当時を思い出す毎に大変体にわるいので思い出さないようにして居ります。ごしんせつなないようの話ですが,ごえんりょさせて戴きます。あしからずごりかいください。」<ドアにメモ貼付>

・60代女性。中央区で被災。近くの小学校に避難したときは,水汲み,便所掃除,配食などのボランティアをしていた。何時間もかけて歩いて仕事に向かった。仮設住宅には行かず。この復興住宅に入居して5~6年。ここは交通・病院・買い物など何でも便利。夕食の準備をしていたところなので,出ようか出まいか迷った。早朝の地震のときは起きたところだった,念のため外出は控えた。<予定時間より大幅に遅れて訪問>

・40代男性。長田区で被災。近くの学校に避難し,仮設住宅を経て復興住宅に入ったが,URからの借り上げであったため,2月に自分たち夫婦でこの復興住宅に移ってきた。それまで一緒だった母が心配。とくに困っていることはない。近所づきあいは,この並びくらい。ボランティアに望むことは,一人暮らしのお年寄りを考えてあげてほしい。<予定時間より大幅に遅れて訪問>

・少女。今朝の地震では寝ていた。両親から阪神淡路大震災の体験を聴いたことはない。震災について教わったことは,小学生のときは,ビデオを見たり,人と防災センターを見学したりした程度だったが,今はキリスト教系の学校にいるので礼拝があり,上級生には被災者を訪問するボランティアの部活動も。

・60代女性。中央区で全壊。同区内の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して15年。今,孫が来ていて,テレビを見ている。

・60~70代男性。「時間も時間やし…,もういいです。」<予定時間より大幅に遅れて訪問。インターホン越しに応答>

・50~60代女性。「今,ちょっと調子悪くて寝ている。今朝の地震は大丈夫だった。」

・60代女性。「今ちょっとバタバタしてますので…。」<インターホン越しに応答>

・40~50代女性。「今とくに困っていることはない。今朝の地震も大丈夫。」

・70代女性。「今,調子悪いので…。」<インターホン越しに応答>

・70代女性。身体は悪いところはない。今朝の地震は大丈夫。

・「元気です。またおねがいします。」<自身でシート記入>
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tag : 訪問 ボランティア 支援 阪神淡路大震災 神戸 傾聴 復興住宅 淡路島 地震

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お問い合わせ、ご相談、参加申込などの
メールはこちらからどうぞ。

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当ボランティアは、2016年7月23日、
仮設・復興住宅訪問通算650回をむかえました!

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1回だけでも、初めてでも、お気軽に

神戸・週末ボランティア 新生は、復興住宅への訪問活動を行い、阪神淡路大震災で被災された方からの「お話し伺い」(傾聴ボランティア)をしています。

詳細は随時紹介します。

☆新聞で紹介されています☆

産経新聞 神戸版 2014.3.23
「復興住宅訪問600回へ 神戸のボランティア団体 HPで問題共有
「時間重ねて見える問題も」「復興住宅訪問600回へ 神戸のボランティア団体

神戸新聞 神戸版 2014.3.23
住民の悩み聞き続け 神戸・週末ボランティア 新生 「将来の一助に」 復興住宅訪問、仲間募る

毎日新聞 神戸版 2014.3.23
「神戸・週末ボランティア新生」、被災者訪問30回目/兵庫

産経新聞 神戸版 2010.11.28
若者にも被災者支援の輪 神戸市民グループ「週末ボランティア」

当ボランティアは、2014年3月30日、
仮設・復興住宅訪問通算600回をむかえました!

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類似名称を用いているものにつきまして、2013年以降、神戸・週末ボランティアに(代表:東條健司)などの追記をしたものは、1995年に活動を始めた「神戸・週末ボランティア」及び当〈新生〉とは関係ありません。



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